高い城の男 フィリップ・K・ディック 書評
日・独・伊、いわゆる枢軸国が第2次大戦に勝利したもう一つの世界。
アメリカは東半分をドイツに、西側を日本に支配されている。
ドイツの領土ではユダヤ人の虐殺がつづき、黒人は奴隷のまま、白人は表向き日本に従順な姿勢を見せていながら、心の奥では「黄色い猿め」と蔑視している。
そんな中、”もしも枢軸国が負けていたら”というテーマの本が出版された。ドイツでは発禁だが、日本側ではベストセラーになっている。この辺りの設定もなんだか言い得て妙だ。戦中なら発禁間違いなしだが、戦後なら出版が許されていたかもしれない。ここら辺、ディックは日本のことをよく見ていて、たとえば、110頁、「われわれの社会はまだ老人問題を解決していません。医学の進歩とともに、老人の数はたえずふえています」と書いている。要するに、高齢化社会を先読みしているのだ。
さらに作中、ディックは、ナチスが日本を蔑視しており、いずれ世界中がドイツに支配されてしまうだろう、と危機感をつのらせている。これも実にあり得る話である。というのも、第二次大戦中もドイツ人は日本人を下に見ていた傾向があるからだ。彼らは要するに”ゲルマン民族優位主義”なのであって、戦略上日本と手を組んでいただけなのである。(それは日本も同じだが)
ディックはどちらかというと日本に好意的な目を向けているが、ときにはこんな描写もしてみせる。すなわち、「日本人の模倣能力はものすごい。/おまえさんらはブリキとライスペーパーをつぎはぎして、完璧なにせのアメリカが作れる」(171頁)。「この連中は本当の人間じゃない。服は着ているが、実はサーカスの着飾った猿とおなじだ。利口で物覚えもいいが、ただそれだけのことだ」(173頁)
まあ、戦中の日本観とはそんなものだったのだろう。日本がまだ模造品を大量生産していた頃のことを考えれば、ちょっと手厳しいけど、これくらいのことを言われても仕方がない。今の日本から見た某国がこんな感じではないだろうか? (発言が怪しくなってきたのでやめる)
SFのつもりで読み進めたが、全体的に見るとスパイ小説の色合いが濃い。宇宙人やどこでもドアといった類いの魔法のようなガジェットは出てこない。SFが苦手、という方でも読みやすいと思う。一方、ディックファンからすると、ちょっと物足りなさを感じるのではないだろうか。読後感は悪くないけど、B級SFガジェットが少なすぎるきらいがある。6点。

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